オモロイ事も、やりたい事も年々減ってる気がするわ。
年をとればとるほど人生つまらんくなってくなあ。
私は毎日忙しく自分なりに楽しんでいるけど‥
私が本当にやりたい事ってなんだっけ?
新年に「目標」を立てても正月明けには忘れてるし
誕生日に「今年はこれ頑張る!」と決めても翌日には面倒で嫌になっちゃう・・
それな!
頑張りやさんの40代以降に現れやすい
「真我」と「自我」の乖離やで・・
なんやそれ!
やらなきゃいけない事はたくさんあるけど、やりたい事が見えない
考えてもみてください。
例えば今3歳とか5歳くらいの子に「何がやりたい?何をしたい?」と聞いたとして
やりたい事なんてないもん
って、よっぽど機嫌が悪い時とかでもない限りならないじゃないですか。
公園で遊びたい!歌を歌いたい!TV見たい!!おかし食べたい!お絵描きしたい!友達と遊びたい!ブランコ乗りたい!マヨネーズ舐めたい!お水遊びしたい!ママみたいにお化粧したい!
いくらでも「やりたい事」が次々溢れ出してきますよね。
いや!
そういう目先の事やなくて
人生を通してのやり甲斐とかの話しをやなあ・・!!
一緒やねん!
大人の私達だって、「子供の頃」はありましたよね?
なのに一体いつから私達は「◯◯したい!」がこんなに浮かばなくなってしまったのでしょうか?
いうてもワシら大人やしなあ。
オッサンが水遊びしたところでやし
仕事行かずTV見てる訳にもいかんし・・
子供の世話もあるし
子供の「やりたい!」に付き合ってたら
自分の「やりたい!」どころじゃない・・
だからそれよ!それそれ!
「自分のやりたい!」より
目の前の「やらなきゃ!」や「自分以外の誰かの期待」を
優先するようになったのはいつからですか?
自我って知ってる?
自我くらい知っとるわ!
「オマエは自我が強すぎる!」
とかよー言われるわ!
じゃあその「自我」って何かわかります?
自我ってワシの我の事やろ?
「自我とは」を調べるとこのようになります。
自我と「本当の自分」
自我と「本当の自分」の関係については、以下のように考えられます:
- 自己認識とアイデンティティ:自我は自己認識の一部であり、自己概念を形成します。しかし、これは必ずしも「本当の自分」を完全に反映しているわけではありません。自我には、社会的な期待や自己の理想、過去の経験が影響を与えるため、自己認識は時に歪んだり、不完全であったりすることがあります。
- 自分で思い込んでいる部分:人はしばしば自分に対してこうあるべきだという理想像を持ち、それに基づいて行動しようとします。この理想像と現実の自己との間にはギャップが生じることがあります。このギャップは時にストレスや自己不一致を生む原因となります。
- 真の自己:いくつかの哲学的・心理学的な視点では、「真の自己」は社会的な役割や他者の期待から解放された、自分の本質的な存在とされています。これは深い自己探求や内省を通じてのみ見つけることができるとされています。
自我は自己意識の重要な部分であり、個人の行動や判断を支えるものですが、必ずしも「本当の自分」と一致するわけではありません。
自我には社会的期待や個人の理想が影響を与えるため、真の自己を見つけるためにはこれらを超えて自己を見つめ直す必要があります。
哲学的・心理学的な探求を通じて、自我と真の自己の関係を深く理解することが求められます。
ね。
だからよくよく考えて気をつけて捉えないとなんだけど
あなた=あなたの自我 は、100%一緒ではないんです。
だって私達は子供の頃から今に至るまで色々な「こうあるべき」「こうしなきゃ」を埋め込まれてきましたよね?
例えば元々の素の自分が自然と「歌いたい!」と思って鼻歌歌いながら踊っていただけなのに周りから「下手くそ!」と言われてしまった事によって元々持っていた「歌いたい」という気持ちがシナシナシナ・・と消えてしまっていったり。
「サッカーが好き!サッカーやりたい!」と心から思っていたのに「そろそろ受験生なんだから部活なんかより勉強しなきゃでしょ!」と部活辞めさせられてしまったり。
「ママになってもオシャレでミニスカートだってはいちゃうママになりたいな!」なんて思っていたのに周りのママともさんの目が気になって「保護者らしい服装」を選ぶようになってしまっていったり。
「本当の自分」が望んでいた事を知らず知らず「周りや世の中」に適合させていく事で「社会人らしく」とか「親らしく」とか「大人らしく」となってきたのが今じゃないですか?
せやかて、白い目で見られるし
笑われたりバカにされたくもないし
そうせな平和に生きていかれへんやんか!
ですよね。
なのでそれが【駄目】というのは暴力的すぎるんだけど
だけどさ?
こうあるべきの呪い
だから知らず知らずのうちに私達は「自分が本当に望んだりやりたいと思っていた事」にどんどん蓋をして「こうあるべき自分」や「そうでなくてはいけない自分」として「偽装の自分」を作り上げてきたんですよね。
何故?
それは生き延びるために。
本当は「うさぎ」だったとしても「狐」の集団に生まれたなら食べられないように「狐らしく」生きていたほうが安全ですもんね。
するとですよ?
「生まれ持った素の自分」と「世の中に適合する為に作り上げた自分」というそれぞれ別の人格があなたの中に出来上がっていっていく事になります。
その「本当の自分」と「作り上げた自分」の二つの心がある状態で「自分の将来の理想」を考えると
どちらの側の「あなた」で考えた目標や理想や願望なのか??
あなたが年始に立てた目標があるとするならそれは「どちらのあなた」が立てた目標でしたか?
上の「狐として生きている本来はうさぎちゃん」が
「本来のうさぎ」として自分の将来の目標を立てるとしたら「人参畑の近くの4LDKに住みたい」とかかもしれないですよね?
その目標の為なら毎日うさぎ跳び100回も全然できちゃうかもしれない。
だけど「本来のうさぎ特性を隠して狐として生きてきた自分」の状態のままで将来の目標を立てれば、「豆腐屋に嫁いて油揚げ食べ放題になれば周りにも羨ましがられて、自分にとっても幸せなはずだ」と、そう目標を立てるかもですよね?
だけど何故か自分の理想を叶えるためのはずなのに・・その為の「うさぎ跳び100回」はなんか嫌だな‥気分乗らないな‥おかしいな‥幸せになる為なのにな・・
それでも頑張ってその目標を叶える為に頑張れば頑張るほど、叶った所で
となるのって当たり前ですよね。
しかもそれがまだ10代20代の頃なら「本来の自分」と「偽りの自分」の境界線がまだ曖昧なのでなんとかなるんだけど、それが30代・・40代・・50代・・となっていけいくほど「偽り歴」も長くなっていく。
すると「偽り側」を本来の自分だと思いこんでしまっていてもおかしくないですよね?
そりゃ「やりたい事」が見つからないってなりますよ。
この「ズレ」は自分がこの社会に適合する為に合わせただけなので、自分ではズレという認識はない事が多い。
他の言い方をするとすれば、あなたがPCだとすれば、あなたのOSに次々あなたが後から「入れなきゃ!入れなきゃ!」とインストールしていくソフトの互換性が無くてでそれがエラーとなる感じですかね。
「あれ?自分が本当にやりたい事ってなんだっけ?わからないぞ!?」
というエラーメッセージが心に出て動けなくなっちゃうんです。
Windows10にWindows11のソフト入れても使えたりするけど、
OSそのままなのに、年々ソフトだけどんどんバージョンUPしていったらいつかエラーで動かなくなるでしょ?
自分の「真我」と「自我」の違いを知る
先ほど「自我」について説明をさせて頂きましたが、次に「真我」についてお話します。
自我(エゴ)
定義: 自分のことだと思っている部分。個人のアイデンティティや性格。
自我の特徴↓
個別的: あなたの経験や感情に基づいています。
変わりやすい: 気分や状況によって変わります。
限界がある: 物理的な体や時間に縛られています。
真我(アートマン、自己)
定義: 本当の自分。普遍的で変わらない本質。
真我の特徴:↓
普遍的: すべての人に共通するもの。
不変: 変わらない、永遠の存在。
超越的: 物理的な制約や個別の経験を超えています。
自我と真我を比較 すると
個別と普遍:
自我は個人ごとに違いますが、真我はすべての人に共通です。
変わるか変わらないか:
自我は変わりやすいですが、真我は変わりません。
外部と内部:
自我は外部の世界に関わる一方、真我は内面的で精神的な部分に関わります。
要するに、自我は日常の自分であり、真我は本当の自分です。
と、こういう違いになります。
わかるような、わからんような‥
私達はこの世に生まれ落ちたその瞬間から自分の特性や「真我」があります。
その「真我」に従ってやりたい事や、楽しいと感じる事、嬉しいと感じる事だけをしつづけてこれたら良かったのかもですが・・ でもぶっちゃけそれでは生きていけなかったんですよ。
だから子供の頃からその場その場、その時その時に応じて自分が周りから弾き出されないように「その環境似に合うためのソフト」を自分にどんどんインストールしてここまで生きてきました。
人間はもともと群れないと生きていけなかったので「周りの人に合わせて自分を異物にしない」という生存本能は脳に刻み込まれています。もちろんこれは生きるために必要な事だったんです。
ただ、人類の歴史を振り返っても、今みたいに結婚相手や職業を自由に選べるようになったのはほんとここ最近なんですよね。 私達の祖父母世代ですら「職業を自分で選ぶ」ってまだまだ難しかった時代じゃないですか?
明日の食べ物に困る時代や、いつ戦争で爆弾が飛んでくるかわからないような時代に「自分のやり甲斐ってなんだろう?」なんて考える時間もないし、そこを考える脳の機能は必要なかったんですよ。
だけど今、私達のここからの時代は自分で結婚相手を選んだり、自分の職業を自分で選べるようになってきましたよね? 選べるような「環境や時代」になってきたんだけどでも
なんですよね(笑
脳の進化がまだそこに追いついてきてくれていないんですよ。
だけどここからの子達はどんどんそうした環境や時代に合わせた脳になっていくんでしょうね。
「周りからはみ出さないように」と抑える自我が必要だった時代から
「周りとは違う自分のまま」でどう自分らしく生きていくか?という真我に沿ったに生き方ができる時代になっていくのか・・な?
そんな時代の移り変わりの今だからこそ「アップデート時のエラー」も出やすい世代でもあるって事になります。
ミッドライフクライシス
今までガムシャラに頑張って「もっともっと!!」とアドレナリン出しまくって努力や気合や根性で乗り越えてきたのが今の40代、50代、それ以降の世代ですよね。
だからその「偽りの自分で作り上げた自我」のままで今後の目標や希望や願望を叶えようとしても「更にアドレナリンを出す生き方」しか思い浮かばず(でもな・・だってな・・もうそこまでしたくないしな・・)と気持ちも体力もついてこなくなっちゃうんです。
体や脳があなたにどんどん「そのままじゃアカンで!」とエラーメッセージを出してくるんです。
それが冒頭タイトルの「人生や毎日がつまらない。何故か生きがい無くなっていく‥」の原因の1つになってしまうんですよね。
更にこの「自我」と「真我」がズレたままでは、今後更に目標達成が壊滅的にしにくくなってしまうんだけどその理由として
「自我」と「真我」がズレていると何故目標が達成できないの?
「自我」と「真我」が乖離したままで「それでも頑張らなきゃ」とした場合。
今年こそ毎日ブログを書くぞ!!
と思っても、その目標は自我の目標なのか?真我からの目標なのか?
そこがずれたままだと「本来のあるべき自分」と「本当の自分」の差で拗らせてしまうんですね。
だって自分の中に「現実」と「理想」の自分が共存してしまっていると【100点の自分】がわからないんですよ。例えばこんな感じ↓
本当は「真我」側の「子供がいて夜は眠いし体力もないし朝弱い自分」の状態を一旦受け入れて、それでもできる範囲からを精一杯やれれば自分の100点のハズなのに。
だけど「偽り」や「理想」や「こうあるべき」な自分を本当の自分だと思いこんでしまっている状態だと「子供が今より手を離れれば」とか「夜もうすこし頑張れる自分なら」とか「気合で朝活ができる自分になれれば」とかで「◯◯な自分」という・・
本来の自分のスペックより完ぺきな自分のレベルを「本来の姿」として目標や計画を立ててしまうんですね。
そしてその「(理想の)自分だったらできるハズ」を「(理想の自分こそが)本来の自分の100%のパフォーマンス」だと思いこんでいるから、子供が熱出して作業ができなかったり、夜ブログに記事を書こうと思っていたのについつい疲れて寝ちゃったとか・・
そうした「できなかった自分」を「あー私ってなんて駄目なんだ!本当ならもっとできるハズなのに」と責めてしまう。
悟空の状態のままで叶えられる目標なのか?
いつかなれるハズのスーパーサイヤ人になった暁にこそ叶えられる目標なのか?
「子供さえ手が離れればもっとできるハズ」の自分が100点の自分なの?
「朝弱くても気合と努力すればできるハズ」の朝活する自分が100点の自分なの?
違くない?
「頑張ればきっとできるはず」の自分は偽りだし、各種条件抜きでスーパーサイヤ人状態の自分が本来のあるべき姿だと思ってるのはあなたの自我だよ? あなただけがそう思いこんでるだけだよ?
だって生身で今ここを読んでいる本来のあなたは「まだ手が離れない子供」がいたり「体力落ちて夜の作業は無理」だけどそれでもできる範囲で頑張っているのならそれが現実的に本当の100点のあなたなんじゃないのかな。
「もっとできるハズ」→ なのにできない自分は駄目と思うはあなたの自我。
「出来ないこともある状態まで含めそれが今の本来の自分の100%」
「もっとできるハズなのに」ではなく「今の自分こそが100%全力状態」と受け入れた上で、その自分で目標や計画や「何が幸せなのかな?」を考えてこそ、それが
「地に足がついて前進できる計画」
なんじゃないですかね。
目標やゴールを目指すのはいいんだけど、そもそも「現在地」がズレていたりわからないままじゃそりゃ迷うでしょと。
という事で書いているうちに色々散らかっていってしまって私も今まとめ方がわからないんだけど・・
おい・・
とにかく今回はこの「人生や毎日がつまらない。何故か生きがい無くなっていく‥」という状態にあなたがもしなっているとか、近づいていってるという感覚がもしあるのであれば。
それは「自我」と「真我」の乖離とか、「本来の自分ではない後付の自分が作った目標や理想を追っていない?」とその辺り掘っていくとあなたの中の「キラキラ」が見つかるかもね?
というお話でした。ではまた♪
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